てくてくウォーク 里山歩き その1

春に予定していた「てくてくウォーク里山歩き」が新型コロナ騒ぎで中止となりました。現在コロナの勢いは春よりはむしろ勢いを増しているように思われ不安ですが、世の中は委縮してばかりはいられない、経済活動も大事ということでウイズコロナ恐る恐る日常生活を活性化しながら生活を!という雰囲気で動き始めました。県央Jaoの活動もほとんど休止状態が続いています。今回の活動も開催が危ぶまれましたが、世の中の流れに合わせて閉塞感を打破すべく恐る恐る開催となりました。

参加者は13名(多摩・田園2名、ベイ1名、湘南1名、県央9名)でした。10時半秦野駅集合でしたが、1週間前の下見に比べると電車の乗客がずいぶん増加しているように感じました。天気が良かったせいもあるかと思いますが、皆さん屋外へ、観光地へという思いがひしひしと伝わってきました。親子連れの方も多く、リュックを背負っている方が多かったです。秦野駅では10時待ち合わせの4〜50人のグループがいました。我々も大グループですが。3密は大丈夫か?心配。また、駅員に「今日箱根で何かイベントがありますか?」とたずねているご夫婦の方もおられました。良い天気なのだから、とにかく屋外へ出かけたい。気晴らしをしたい。皆さんずいぶん我慢を強いられているようです。今回のコースは駅から30分位のところにある「くずはの家」を通り「田原ふるさと公園」波多野城跡経由で駅に戻るという約11キロのウォークです。

戦国時代以前から十日市場が開かれ秦野地方の商業の中心となっていた上宿という古い町並みを通って、曽屋神社の前にある水道記念公園に到着。途中コンビニなどに寄ったのでここまでで40分ぐらい掛かってしまった。水道の元となった湧水が曽屋神社にあったのだが割愛する。国道246号を超えて葛葉峡谷に到着。普通は舗装道路を歩き直接「くずはの家」に行くコースを取るのだが、この峡谷のすばらしさを強調するのと、皆さんを少し驚かすために、金比羅神社から急坂を下るコースに誘導する。この峡谷のある葛葉緑地は昭和62年3月に神奈川のナショナルトラスト緑地の第一号に指定されました(葛葉川は丹沢山地から流れ出し、秦野盆地に扇状地を造り市街地に貴重な深い峡谷を刻む金目川の支流です)。急坂を無事下り鹿などの食害を防ぐために設けられた網のドアを抜け河原に到着。飛び石伝いに川を渡り対岸に。川の水が多いと落ちる人が出るのではと少し心配であったが全員無事わたることができた。振り返ると、我々の後から来た2人連れのうちの一人が最後の飛び石で滑って川に落ちてしまった。Sさんが直ちに救助に行かれた(現役の頃の条件反射か?)しばらく立てなかったがたいしたことがなくホッとする。我々13名はまだ体力に余裕があったよう? 対岸に「しましまになっている崖」がある。これは箱根山の火山噴火で飛んできた火山灰が積もって固まった地層で調査のナンバーが記されていた。くずはのつり橋を渡り「くずはの家」に到着する。少し冒険をした感じになり皆さん満足のようであった。家の中には研修室と図書室があり子供たちが自然について学習することが出来るようになっているようです。写真のように周りが完全に宅地開発された一郭が嘘のように鬱蒼とした森になっています。よくぞ残したと感謝です。

くずは台南公園を抜け田原ふるさと公園へ。住宅街を抜けると自然豊かな里山道です。やがて公園の中の「ふるさと伝承館」が見えてくる。館内には新鮮野菜と評判の手打ちそば処がありますがお客が列をなしていてそばを食べることはできませんでした。ベンチで昼食後隣接する「源実朝公お首塚」、コスモス畑の撮影、野菜や果物の購入と昼食休憩を楽しむ。

バス通りに出て中庭バス停で2手に分かれる予定でしたが、待ち時間がだいぶあったため「波多野城跡」まで全員で移動することになった。城跡は小さかったが、波多野氏に関する説明板があり記念碑が立っていたのでここで集合写真を撮る。関東ふれあいの道を通って後は下るだけということで全員駅まで歩くこととなった。1名が棚田を見たいということでここで別れる。無事写真を撮ることが出来たようです。

途中光明院を通り15時に秦野駅に到着。文字通りの「てくてくウォーク」であったが、予定より30分遅れで全員無事完歩しました。おてんとうさまのおかげ、感謝!! その後6名の方が駅前の居酒屋へ!?久しぶりで会話が弾む。

(2020/11 石川武司 記)

里山ウォーク
住宅街を抜けると自然豊かな里山の案内看板
てくてくウォーク
「波多野城跡」で集合写真!