てくてくウォーク里山歩き その8
「海老名・綾瀬歴史文化ゾーン 1」
11 月3日(日)標記てくてく里山歩きを開催しました。
座間丘陵が舌状に張り出した所に石器時代・縄文時代より多くの人々が住み、生活の痕跡を残してきました。なかでも目久尻川沿いには多くの歴史文化の跡が残されています。海老名に在住の方でもほとんどが他地域からの移住者だと思われます。代表的な国分寺跡・資料館を見学の後上浜田遺跡群を通り渋谷の荘を散策するコースを考えました。
前日の大雨注意報、雷警報が嘘のように快晴のハイキング日和となりました。10時11名の参加者が無事集合元気よく出発のはずでしたが、弁当を購入する人が居りコンビニ探しで 30 分が経過、10 時半海老名中央公園七重の塔より出発となりました。今回は資料配布(メールで済ませてしまった)の仕方、10 時にならないとスーパーが開店しないなど、幹事の下調べ不足が露呈し参加者に不便をかけ
てしまいました。
国分寺跡・資料館までは 5 分ほどで到着。きちんと案内表示が道路に埋め込まれて設定(最近のことだと思います)されていました。海老名といえば国分寺跡なんですね。船係留の杭がそのまま成長したといわれる樹齢 350 年余の大欅の横を通り現在の国分寺へ。国宝の梵鐘、尼の泣き水碑をみた後いよいよ河岸段丘 2 段目の坂道を上る。海老名小学校の校庭の真上にある国分八景公園を通り瓢箪塚公園へ、前方後円墳なのだが前方部分が大分削られ小さくなっていました。周りが住宅街に変貌しているため、残っているだけでも良しなのかな?6 号墳はさらに哀れな形になっていました(これ以上削ることはできないよ!)。石器時代より人々が住んできた場所、丘陵の台地は現代大住宅街です。
三塚公園・浜田歴史公園を通り、綾瀬市との市境を越える。砂利道の下り坂を下ると山寺「長泉寺」の門前に出る、周りは鬱蒼とした木々に囲まれている。次の「龍洞院」も山の中。これど、ザ里山ウォーク。アップダウンが多かったため皆さんお疲れのようなのでここで昼食休憩となる。木々に囲まれたお寺さんの境内で静かに食事。昼食後五社神社への上り、そして綾瀬西高校(宮久保遺跡)
への急な下り(この道は生徒さんの通学路)やっと目久尻川に出る。川のそばに宮久保遺跡の解説版があるのみで、校内には何の標識もない。川に沿って10分ほど歩き橋を渡ると城山公園である。
3 時間半の歩程、上り下りが多かったのと山寺以外はよく知られた場所で車で訪れた経験の人が多かったため、新味が無く疲労のみが残ったようである。歴史文化に触れながら里山歩きとの思いで計画したのだが、こちらの思惑と参加者の期待にずれがあったのではないかと思います。コース設定の難しさを改めて実感しました。お疲れ様でした.
(2024/11 石川武司 記)